習い事考

バイトさんトコが悩んでる。
英語をそれなりに長く通わせているんだけど、
全然喋れるようにならないところに、
入学でクラスが変わりリスニングなど、ちょっとレベルが高くなってしまい、
お子さんがそれに全然付いていけず(先生から質問されても、聞き取れないから違う内容を答えてしまう。それを別の友達から指摘される。=友達は理解出来てるけど、お子さんは理解出来ていない)、
そのことを、子供自身もショックに思ってるらしく、またバイトさん自身も、
自分が喋れないから、子供には・・と思ってたのに、結局出来ないままなこと、
途中で教室を変えた(それまでは遊び的要素が強い、ネイティブに拘った教室だったんだけど、上達しないから変更した)けど、
結局ついていけず、本人が自信を失うだけの結果になりつつあること、
教室を再び変えようと思ってるんだけど、ご主人が「また?いい加減にしたら?」的態度なこと、などなど、
結構ダークに落ち込んでいる。
そして多分その「落ち込み」の中には、
「自分が間違ってたんだろうか」というのも、含まれてるようで。


まぁねぇ・・
バイトさんは、コンプレックスが非常に強い。
「自分が子供の頃、親からしてもらえなかった」
これが子育てにおける、キーワードになっている。
自分は習い事をしたくてもさせてもらえなかったから、子供には・・
自分は遊びにつれていってもらえなかったから、子供には・・
自分は英語が出来なくてコンプレックスだったから、子供には・・
この子はこういう系が苦手だから、
それを克服させるべく、そういう習い事をさせたい・・
そうやって、子供の習い事や日常の行動を決めてる事が多々ある。


それらは、もちろん悪いことではないけれど、
そうしたところで、子供自身が喜ばない場合もあるし、
向いていないとか、全然身に付かない事だってあるわけで、
それを認める(受け入れる)事も必要だし、
思い通りにならなかったからと落ち込むのは、
なんというか、(子供にとって)重すぎるんじゃないかと。
(落ち込むのが重いんじゃなくて、落ち込むほど、子供に期待をかけていたことが、重い。)


駄目だった時に、「いやー自分がこうだったから、それで子供にはこうしてみたんだけど、全然駄目だったわw」と、
笑い飛ばせる程度の「軽さ」がないなら、「自分の希望(もしくは理想)」を子供に押しつけちゃ駄目なんじゃないかと。
最初から親の期待満々で、事に望まないといけないのって、
子供にとってはプレッシャーじゃないか?と思うのだけどなぁ・・


親の期待は、重いよ。