「旅」の定義。


私は自分の中の‘澱’を空っぽにする為に、旅行をする。
いつからか?と考えてみると、
たぶん、就職してから。


学生の頃の旅は、いつだって、
何かを見つける為の旅だった気がする。
まだ見ぬ風景であったり、
人との触れあいであったり、
何か分からないけど、何かを探して、
旅をしていた気がする。


就職して、変わった。のであるのなら、
双方の違いは、「責任」のようなものだろうか。
労働力を一定時間提供する事で、毎月決まった金額が約束される。
そこには、役割と責任が発生する。
原則として、決められた日数は必ず出勤するというルール。
仕事中は、求められる役割を果たすというルール。



この役割は、歳を取るごとに、複雑になっていく。
家族を養う責任、家庭での役割、
仕事での責任と役割。
「それをしたいかどうか」をベースに生きていても、
それでも、「せねばならぬ」ことは一定数あって、
だから、仮面を被る。
その仮面はもちろん、私の中にある仮面で、
言葉を換えるなら、多面体である自分の性格の一部を、
引っ張り出して、表面に出す。そんな作業だ。
それは世の中を上手に渡っていくための、
大切な知恵でもあるだろうし、
あちこち尖っていた自分が、ぶつかってぶつかって、
丸くなることで、やっと身に付いた術でもある。
どれも、自分自身で、まったくの嘘ではない。
けれど、ありのままの自分。でも、もちろん、ない。
日常生活の中では、「見せない顔」が沢山ある。



そうして、澱のようなものが、溜まっていく。



それを空っぽにしたくて、旅に出る。



‘澱’は、例えば青い海を見ているうちに、
溶けてなくなる。


本来の‘自分’が、どんな姿だったか思い出す。
そしてまた、日常へ戻っていく。



ま、人生色々ありますわね。